大判例

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神戸地方裁判所 平成8年(ワ)453号 判決 2000年5月08日

原告

甲野太郎

原告(兼原告甲野太郎法定代理人親権者父)

甲野次郎

原告(兼原告甲野太郎法定代理人親権者母)

甲野春子

右原告ら訴訟代理人弁護士

佐野久美子

法常格

葛原忠知

被告

医療法人社団

山崎産婦人科医院

右代表者理事長

山崎高明

右訴訟代理人弁護士

米田邦

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告甲野太郎に対し、金一億一七七九万二七九四円及びこれに対する平成六年六月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野次郎及び原告甲野春子に対し、それぞれ、金九五〇万円及び内金五〇〇万円に対する平成六年六月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

(以下原告甲野太郎を「原告太郎」、原告甲野次郎を「原告次郎」、原告甲野春子を「原告春子」という。)

本件は、原告春子が被告医院において原告太郎を出産した際、被告医院の医師が不適切な吸引分娩の措置を採ったことなどを原因として、原告太郎が新生児期くも膜下出血による脳性麻痺の障害(痙攣、運動発達遅滞)を負ったとして、原告ら親子が被告に対し、診療契約上の債務不履行ないし民法七〇九条、七一五条の不法行為に基づき、損害の賠償を請求した事案である。

一  前提事実(争いがないか、後掲証拠または弁論の全趣旨により認められる事実)

1  当事者

原告太郎は、平成六年六月二〇日、父である原告次郎と母である原告春子の長男として出生したものであり、被告は肩書地において産婦人科医院(以下「被告医院」という。)を開設して医療業務を営む医療法人であり、その診療行為は被告の代表者理事長である医師山崎高明(以下「山崎医師」という。)が担当している。

2  山崎医師の原告春子に対する診療の概要等

(一) 原告春子は、平成五年一〇月頃、妊娠したと感じたので、高橋産婦人科クリニックにおいて受診し、妊娠したことが確認され、以後妊娠三三週(平成六年五月二日)まで高橋産婦人科クリニックにおいて定期検診を受けたのち、出産を間近に控え、実家で出産の日を迎えるべく、高橋産婦人科クリニックの紹介により、妊娠三四週目に入った平成六年五月一三日、実家近くの被告医院において受診し、原告春子と被告との間に同原告の分娩に向けて被告が適切な診療行為をする旨の診療契約が成立した。

(二) 原告春子の妊娠は、ほぼ順調に三八週まで経過し、出産予定日が平成六年(以下、特に断らない限り同年のことである。)六月二〇日であったので、山崎医師より六月一〇日頃からマイリス(子宮頸管を柔らかくする薬)の注射を受けた。六月一九日夜半頃から陣痛が始まったが、原告春子はなんとか我慢して、翌二〇日午前九時過ぎ頃山崎医師の診察を受けた結果、直ちに入院ということになり、被告医院に入院した。まだ子宮口の開きが小さかったので、出産は夕方頃になる予定であったが、同日午前一一時五〇分頃に注射されたマイリスがよく効いたためか、同日午後〇時五〇分頃、子宮口が全開大となり、分娩室に入った。

(三) 山崎医師は、吸引分娩の方法を選択し、三回目の吸引で午後一時一〇分原告太郎が出生した(以下「本件分娩」といい、右の吸引分娩を「本件吸引分娩」という。)。

(四) 原告太郎は、出生直後のアプガースコアは一分後九点、五分後一〇点と良かったが、その後活気のない状態となり、ミルクをあまり飲まず、痙攣も起こってきたので、山崎医師は専門医に見せた方がよいと判断して、原告太郎を六甲アイランド病院に転院させることにして、自ら自動車を運転して原告太郎を同院に運んだ結果、原告太郎は六月二二日午前〇時三〇分同病院に入院した(以下「本件転院」という。)。

3  六甲アイランド病院での治療経過等

原告太郎には本件転院後も痙攣、クモ膜下出血による脳浮腫、無呼吸発作等の症状があったが、六甲アイランド病院の安島医師らの治療により、徐々に症状が軽減し、約三週間後の七月一六日軽快にて同院を退院するに至ったものの、その後も痙攣、運動、精神発達遅滞の状態が残り、現在も抗痙攣剤の投与は欠かせず、運動、精神発達遅滞といった脳性麻痺の症状(以下「本件障害」という。)が残存している。

(右2及び3について、甲一ないし四、一〇、一二、一四、一五、乙二、三、原告春子本人及び被告代表者山崎高明本人)

二  争点

1  原告太郎に本件障害が発生したことについて、山崎医師または被告医院に債務不履行責任または民法七〇九条、七一五条の不法行為責任があるか。

(一) 吸引分娩の選択が相当であったか。

(二) 吸引分娩の実施における手技が相当であったか。

(三) 分娩後の診療・対応は適切であったか。

(四) 分娩経過と本件障害の相当因果関係の有無。

2  原告らの損害額

三  争点1(被告の責任の有無)に関する当事者の主張の要点<省略>

第三  争点に対する判断

一  本件分娩とその後の経過

前提事実2、3の事実と、証拠(甲一ないし七、一〇、一一、一五、乙一ないし三、八、一〇、一一の2、一五、検甲一、二、三の1ないし4、証人山田至康、同山崎敦子、原告次郎本人、原告春子本人及び被告代表者山崎高明)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  入院までの経過

原告春子は、平成六年五月一三日、実家近くの被告医院において受診し、もって、原告春子と被告との間に出産に向けて適切な診療行為をする旨の診療契約が締結された。妊娠三四週目であった。その後、原告春子の妊娠は、ほぼ順調に三八週まで経過し、出産予定日が六月二〇日であったので、同月一〇日頃から被告医院において、マイリス(子宮頸管を柔らかくする薬)の注射を受けた。そして、同月一九日夜半頃から陣痛が始まり、原告春子は翌二〇日午前九時過ぎ頃被告医院において山崎医師の診察を受けて、直ちに入院した。

2  入院以後の本件分娩の経過

(なお、以下時間のみで表示するが、全て六月二〇日の経過であり、特に断らない限り、処置の主体は、被告医院であり、処置の対象は原告春子である。)。

(一) 右入院当初は、子宮口の開きが三センチメートルとまだ小さかったので、まず出産に備えて高位浣腸を行った。

なお、午前九時頃には自然破水があった。

午前九時五〇分マイリス二〇〇ミリグラムを静注した。

午前一〇時二五分、分娩監視装置を装着し、ノンストレステストを行ったところ、早発一過性徐脈を二、三回認めた。

午前一一時〇分児心音は正常で、子宮口の開きは三センチメートルのままであった。

午前一一時五〇分陣痛が次第に強まり、児心音は正常で、子宮口の開きは五センチメートルにやや開大した。その頃、マイリス二〇〇ミリグラムを静注した。

(二) 右マイリスがよく効いたためか、午後〇時五〇分頃、子宮口が全開大となり、原告春子を分娩室に入れると共に分娩監視装置を装着したが、ノンストレステストにおいて遅発一過性徐脈が毎回反復して出現するため、山崎医師は胎児仮死と見て、直ちに娩出させることとし、看護婦に腹部を圧迫させて、娩出を急いだが、前方前頭位で回旋異常を伴っており、娩出が困難であった。このため、山崎医師は、急速遂娩の一つである吸引分娩術を採用することにし、午後一時に局所麻酔のあと会陰切開を加え、陣痛に合わせて原告春子に怒責(いきみ)をかけさせ、これに合わせて吸引した結果、試験的吸引も含めて三度目の吸引により、午後一時一〇分本件分娩に至った。

子宮口全開から本件分娩までの所要時間は、二〇分であった。

(三) 右のように分娩が困難であったのは、臍帯が胎児の首に一回巻絡していた(このことは、娩出中に分かったことである。)上に、前方前頭位という回旋異常を伴っており、児頭の下降が悪かったためである。

(四) 本件吸引分娩の際、山崎医師は可能な限り大泉門の位置を避けようとしたが、児の頭位との関係(前方前頭位で回旋異常を伴っていた)でカップが頭頂部から大泉門(その大きさは1.5cm×2cmと通常であった。)に一部かかり、カップの痕(こすれたように頭皮がめくれ、軽い皮下出血を生じた。)は六甲アイランド病院に転院後もしばらく残っていた。

(五) 吸引分娩は、吸引カップを児頭に当てて、陰圧(カップ内の圧力を減らすこと)により密着させ、陣痛に合わせてカップを引っ張って、娩出を援助するものである。陰圧を加えるため、柔らかな児頭は、カップの中に膨らんで産瘤を作る。児に過大な引力が加わらないよう、一定の限度でカップが外れるように、陰圧は六〇cmHg程度に設定しておくのが通例とされるが、被告医院では、吸引カップの陰圧は五〇cmHgに設定してあった。陣痛に合わせて、カップが外れない程度に力を入れてカップを引っ張るが、娩出に至らないまま陣痛が弱まると、次の陣痛まで、吸引カップの陰圧を下げて、待機する。こうして、三度目の吸引で娩出に至った。山崎医師としては、引っ張るのに通例よりもやや力を要したが、通常の限度内であって、吸引分娩の合併症として一般的に指摘される頭血腫や帽状腱膜下血腫はみられなかった。

(六) 娩出された原告太郎は、出産時二八三八グラムの成熟児であり、山崎医師の見るところ、アプガースコアは一分後九点、五分後一〇点と正常で、新生児仮死はみられなかった。

3  本件分娩後の原告太郎の容態等

(一) 本件分娩直後インファント・ウォーマーの中で新生児介助を始めたとき、啼泣が弱かったので、腰背部を摩擦すると啼泣も強くなり(なお、背部摩擦時に背部の表皮が一部剥離した。)、四肢のチアノーゼはみられたが、四肢の緊張はよく、酸素吸入の必要はなかった。

(二) 午後二時頃原告春子のいる部屋に原告太郎を連れていき、母子同室にした上、原告春子に子供に何か異常があれば、直ぐに連絡するように伝えた。

(三) 生後一二時間経過した深夜の六月二一日午前一時一五分、被告医院の看護婦が原告太郎に白湯を飲ませようとした際、引きつった泣き方をして飲まず、呼吸をせずに顔面にチアノーゼが出現した。チアノーゼは直ぐ回復したが、結局白湯を飲まないままであった。

(四) 原告太郎は、六月二一日午前二時四五分には白湯を二〇cc飲んだ。同日午前八時三〇分の飲み方も良くなかったが、チアノーゼなどの異常はなかった。

同日午前九時過ぎには山崎医師も右チアノーゼの件を重視して、原告太郎を診察したが、呼吸等の全身状態や哺乳力に異常はなかった。

被告医院に勤務する山崎敦子医師(山崎医師の長男の妻であり、産科医師である。)も、前夜チアノーゼが出たと聞いて、同日午前九時ころと午前一〇時ころ、原告太郎を診察したが、頭部に吸引の痕があるのに気づいたものの、特に異常は認めなかった。

同日午前一〇時頃原告太郎を原告春子の病室に連れて行き、当日早朝にチアノーゼが出現したことを説明し、異常があれば連絡するよう指示した。

(五) 原告太郎は、六月二一日午後六時三〇分からはミルクを飲まず、午後七時三〇分頃には目をきょろきょろさせ、しャくるような泣き方をして飲まず、四肢に痙攣様の振戦があり、午後八時三〇分頃にもミルクを飲まず、泣かないで寝ていた。

(六) 山崎医師は、六月二一日午後一一時三〇分頃原告太郎にミルクを飲ませようとしたが、チアノーゼ気味で四肢痙攣もあり、哺乳力も殆どなかったので、専門医に見せた方がよいと判断して、原告太郎を六甲アイランド病院に転院させることにして、その連絡をした上、自ら自動車を運転して原告太郎を同院に運び、原告太郎は六月二二日午前〇時三〇分本件転院に至った。

4  六甲アイランド病院での治療経過等(処置の対象は原告太郎である。)

(一) 本件転院直後、心音は正常であったが、呼吸は頻回で振戦が認められたところ、入院時の検査で白血球の増加、炎症反応陽性、多血症、高ビリルビン血症、低血糖、振戦が認められ、感染症及び頭蓋内の病変が考えられ、その旨の検査をした。また、CK、GOTの酸素値が上昇していた。

(二) その結果、CTスキャンにて軽度のクモ膜下出血が疑われ、髄液の検査が行われたところ、出血が確認された。感染症としては、髄膜炎が疑われた。なお、クモ膜下出血は、右検査結果から、本件転院前に発生していたものと認められた。

(三) 転院の約五時間後の六月二二日午前五時三〇分に再び痙攣発作が出現し、これに対してフェノバルビタールの座薬とジアゼパムで治療が行われた。

(四) 六月二三日のCTスキャンでは、クモ膜下出血の程度に変化はなく、脳浮腫は進行していたものの、脳室内出血は認められなかった。髄膜炎対策として抗生物質で治療されたが、脳浮腫による痙攣の回数が増加し、頻回に認められるようになった。また、六月二四日には、無呼吸発作が起こった。

(五) 六月二五日のCTスキャンでは、脳室を判別することができ、脳浮腫は軽快した。

(六) 七月一日に脳波検査が行われた結果は正常であり、以後、痙攣発作は認められず、抗痙攣剤はフェノバルビタールの座薬からフェノバルビタールの水薬に変更された。

(七) 七月一六日原告太郎は軽快したとして同病院を退院するに至った。

5  原告太郎の現状等

原告太郎は、その後も本件障害(脳性麻痺)による痙攣、運動、精神発達遅滞の状態が残存し、現在も抗痙攣剤の投与は欠かせず、また、本来の年齢に比して相当低い運動、精神発達状態に止まっており、今後も改善の見込は極めて低い。

なお、原告太郎は、平成九年兵庫県から身体障害者等級表による級別五級、旅客運賃減額第二種の認定を受けた。

二  判断

以上の認定事実を前提に、まず、被告医院または山崎医師の過失の有無及び本件吸引分娩と本件障害又は本件後遺症との間の相当因果関係の有無について判断する。

1  吸引分娩を選択したことの適否

(一) 証拠(乙一〇添付の医学文献)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(1) 吸引分娩は、母体側適応と胎児側適応があり、それは次のとおりとされる。

① 母体側

微弱陣痛、軟産道圧迫症状、無痛分娩時の分娩遷延、母体合併症、子癇発作

② 胎児側

胎児仮死(フィートル・ディストレス)、潜在的な胎児仮死、臓帯脱出(頭位)、回旋異常、破水後の遷延

(2) また実施の要件として、胎児が生存していること、経膣分娩が可能であること、子宮口が全開大していること、破水後であること、牽引に際して吸引カップが度々滑脱しないことなどが挙げられている。

(二) 前記一2で認定した事実によると、本件分娩には、胎児仮死の兆候である遅発一過性徐脈が頻回に出現しており、かつ、前方前頭位で回旋異常を伴っていたのであって、胎児側の適応が備わっていたこと、並びに、実施の要件がすべて備わっていたことが認められるから、結局、本件分娩には吸引分娩の適応があるといえる。

(三) ところで、原告らは、適応がなかったとして、前記第二の三1(一)(2)(3)(4)のとおり主張するが、以下のとおり、いずれも失当である。

(1) 証拠(乙三、七の1ないし3、一六、証人山崎敦子及び被告代表者山崎高明)並びに弁論の全趣旨によると、原告春子の入院診療録(乙三)に添付された分娩監視装置の記録は、装置に内蔵された時計の設定が誤っていたため、日付や時刻が実際とは異なってはいるが、原告春子の本件分娩に関するものであることは疑うべくもなく、回旋異常の点も、被告医院の診療録に記載がないとはいえ、転院先に提供された情報(例えば甲二の六頁、甲七)からしても、それが発生したことは明らかである。

(2) 仮に遅発一過性徐脈に偽陽性が多いとしても、遅発一過性徐脈は胎児仮死の重要な兆候であり(甲九、乙一五)、また、回旋異常を伴う本件分娩は相当遅延すると思われる(乙一六)ので、原告ら主張のように「原告春子の体位を変換するとか陣痛促進剤の投与を中止するとかして、真に胎児仮死の兆候としての遅発一過性徐脈か否かを慎重に判断すべきであり、仮に真に遅発一過性徐脈が現れている場合でも一定時間内なら子宮内胎児蘇生法を試み、自然分娩の可能性を探るべきであった」とはいえず(真の遅発一過性徐脈であれば、取り返しのつかないことになる。)、胎児仮死と見て急速遂娩を選択したのは、相当であったというべきである。

(3) また、既に子宮口は全開し、破水して、児頭も下がって来ているのであるから、急速遂娩のうちでは、吸引分娩こそ適応しているというべきであり、子宮口全開から分娩まで所要時間は二〇分であったので、途中で帝王切開をするよりもかえって早かったともいえる。

(4) 分娩監視及び帝王切開の準備の点については、山崎医師は、九時一五分頃、原告春子を診察したほか、九時五〇分頃にも診察し、看護婦をして分娩監視装置をいったん装着させて胎児の状況を観察させ、その観察結果の報告を受けて、注射等の指示を出しており、〇時五〇分になって、子宮口が全開したので原告春子を分娩室に入れたとの報告で、分娩室に赴き、同室で装着された分娩監視装置の記録で遅発一過性徐脈が出現しているのを確認して(遅発一過性徐脈については、一定時間の観察を要することは原告ら指摘のとおりである。)、本件吸引分娩に踏み切ったものである(被告代表者山崎高明、弁論の全趣旨)。右の監視体制に問題があったとは解されない。そして、分娩開始までは異常がなかったことからして、帝王切開の準備をしておくべきであったとはいえないし、費用対効果の点からしても、分娩介助に当たっては常にその準備をしておくべきであるとはいえず、結果として二〇分で分娩を終えていることからして、その準備をしなかったことに問題があるとはいえない。更に帝王切開は母体に対して相当の危険性をもたらすこと(甲八、乙六、一一の1、2)を考えれば、本件分娩において吸引分娩よりも帝王切開に適していたとはいい難い。

(四) なお、右判断に反する証拠として、甲一六の1(医師田中啓一作成の鑑定書)が提出された。右鑑定書は、本件で見られた遅発一過性徐脈は胎児仮死を疑うべきではなく、自然分娩を待つべきであったと、いとも簡単に結論づけているが、子宮口が全開し破水したのに回旋異常のため分娩が停止しているという事態を考慮した形跡がないなど、粗雑な内容であって、採用できるものではない(なお、この鑑定書は、全体に、経験ある医師が真摯な検討の結果を述べたものとは評価できないから、以下の検討においてはいちいち触れない。)。

(五) 以上のとおり、山崎医師が吸引分娩を選択した点については、過失はなく、原告らの前記主張は失当である。

2  吸引分娩実施上の手技における過失について

原告らは、前記第二の三1(二)のとおり、山崎医師に本件吸引分娩上の手技に不手際があったなどと主張するので、この点について判断する。

(一) 右一1で認定した事実によると、山崎医師は吸引分娩実施に当たって、試験的牽引を試みているのであるから、試験的牽引をすることなくいきなり吸引したとの原告らの主張は失当である。

(二) 右一1で認定したとおり、山崎医師は本件吸引分娩の際、可能な限り大泉門の位置を避けようとしたが、児の頭位との関係(前方前頭位で回旋異常を伴っていた)でカップが大泉門に一部かかり、吸引にやや力を要したところ、カップの当たった頭皮に皮下出血ができて、カップの痕が残ったが、これ自体はよく見られることであり、数日程度で消失するものであって、吸引分娩の合併症として一般的に指摘される頭血腫や帽状腱膜下血腫はみられなかった。

(三) 吸引カップが児頭の大泉門にかかることは、避けるべきことではあるが(乙一〇添付の資料のほか、各文献)、本件では、吸引分娩を行うことを決めた時点では、児頭は既に骨盤の闊部(広い部分)からさらに下降して、骨盤狭部の辺りにまで下がってきていたうえ、ことに回旋異常の場合には通常よりも出口での断面積が大きくなるので、医師の手で回転させるなどの方法で児の向きを変えることは不可能であることが認められる(乙八、一〇、被告代表者山崎高明)。従って、本件では、吸引分娩を選択した以上、吸引カップが大泉門にかかることを避けることは不可能であったと認められ、手技上の過失があったとは認められない。

(四) もっとも、そうであれば、翻って、大泉門にカップがかかってしまうような前頭位の場合には、吸引分娩の適応がなかったことになるのではないかとも考えられるが、前記のとおり、本件では、遅発一過性徐脈が頻回生じており、胎児仮死の状態にあったのであり、この場合には一五分以内に娩出させることが望ましいとされていることからすれば、帝王切開を選択するのは不適切であり(胎児の異常は分娩室において発生したもので、それまでの間は特に異常は認められなかったし、発見後準備したのでは時間がかかりすぎて胎児を救命できない。)、吸引分娩の選択はやむをえなかったといえる。

(五) さらに、そうであれば、鉗子分娩を考慮すべきとの考えもありうる。乙一三には、「前頭位で大泉門が先進している場合、金属製カップではなくソフトカップであれば吸引も可能と考えられるが、吸引失敗による胎児抑制の増強を考えれば、鉗子分娩を選択すべきである。」との記述がある。他にも同旨と思われる記述のある文献がある(甲八、乙一〇添付資料④など。)。

けれども、右記述も吸引カップが大泉門にかかることを絶対的な禁忌とする訳ではないし、本件では、吸引は試験的吸引を含めて三回目には娩出を終えており、大泉門にカップがかかったといっても、頭皮の損傷は、吸引カップを用いたときに通常起きる皮下出血にすぎず、頭血腫や帽状腱膜下血腫も起きておらず、産瘤が異常な状況に達したとの痕跡もなく、消失するのに時間を要したことも窺えず、頭蓋内が損傷を受けたことを推定させる外見的な痕跡はない。他方、鉗子分娩には感染等の危険や、頭蓋内出血の危険があり(鉗子による頭部への圧迫力は吸引の二〇倍と計算されている。乙一〇添付資料②)、吸引分娩よりも安全な方法とはいえない(甲九、乙一一の2)から、やはり本件に吸引分娩の適応がなかったとはいえない。

(六) なお、本件で用いられたのは、ゴムカップではなく金属製カップであるが(ゴムカップは滑落して失敗する割合が高いとされる。)、金属製カップであることから起きやすいとされる帽状腱膜下血腫等は起きておらず、頭皮の損傷の程度も低く、このカップを用いたこと自体は取り立てて問題とはならないと考える。

(七) 結局、カップを大泉門に一部当てる位置で吸引した点についても、山崎医師に手技上の落ち度、即ち過失があったとは認められない。

なお、吸引の程度は多少力が入っていたものの、通常の限度内であったこと、カップの当たった頭皮に傷ができたが、吸引分娩の合併症として一般的に指摘される頭血腫や帽状腱膜下血腫はみられなかったことに照らすと、吸引の程度の点についても、山崎医師に手技上の落ち度、即ち過失はなかったものというべきである。

3  本件吸引分娩後の診療・対応上の過失について

原告らは、前記第二の三1(三)のとおり、被告医院に本件吸引分娩術後の診療・対応にかかる義務違反があったなどと主張するが、右一3で認定した事実によると、被告医院は、本件分娩後慎重に原告太郎を観察し、異常が見られてから直ぐに本件転院に至ったものと認められるから、新生児管理を怠った過失はないものというべきであり、原告らの右主張は失当である。

4  吸引分娩とクモ膜下出血との因果関係について

右のとおり、本件では、吸引分娩の適応があり、その手技上も過失があったとは認められないが、そもそも、本件吸引分娩と原告太郎に生じたクモ膜下出血との間の因果関係も、以下のとおり、認めがたい。

(一) 吸引分娩は鉗子分娩に比べて副損傷は少ないものとされる。本件で提出された文献のうち吸引分娩について最も詳細な記述のある乙一〇添付資料②は、吸引分娩による合併症として、産瘤部の頭血腫がかなり頻繁に起こる(ただし二、三週間後には自然に吸収される。)ことを述べるほか、深刻な合併症として帽状腱膜下血腫を挙げているに止まり、クモ膜下出血は挙げていない。同資料①、同資料③も同様である。同資料④は、副損傷として、頭皮剥離、頭皮下血腫の代表的なものとして帽状腱膜下血腫及び頭血腫を挙げたうえ、「頭蓋内出血・まれではあるが、未熟児で無酸素症例において見ることがある。」と述べているが、右記述からすると、その頭蓋内出血が吸引分娩に原因するものと見ているのかは疑問があるし、原告太郎は未熟児ではなく、当てはまらない。

これに対し、甲八は、吸引分娩につき、「まれに頭蓋内出血を来して、児死亡や高ビリルビン血症を来すことがある。」とするが、これだけの短い記述であるため、どのような状態にある児について述べているか不明である。甲九にも、鉗子分娩や吸引分娩において最も危険な合併症は頭蓋内出血による死亡や神経学的後遺症である、との記述があるが、その出血例はすべて鉗子分娩のものであり、かえって、吸引分娩で吸引力を六〇cmHg以下とすることで児頭に過剰な圧力を加えないことが安全性に通じるとも記述している。しかも、右文献の筆者は、被告代理人からの問い合わせに対して、右記述で挙げたのは全て鉗子分娩のケースであり、その出血は静脈または静脈洞の破裂による硬膜下出血で、大脳鎌から小脳天膜との接点近くのものであった、としたうえ、右記述は、頭蓋内出血について鉗子分娩の危険性を示し、吸引分娩は通常の使用であればその危険が少ないことを示したつもりであるとし、さらには、表皮の損傷もなく、頭出血、帽状腱膜下出血もなかったのであれば、異常の吸引力が加わったとは考えられない、むしろクモ膜下出血は自然分娩でも帝王切開でも発生する、と答えている(乙一一の1、2)。また、甲一七には、鉗子分娩や吸引分娩における外傷性の新生児頭蓋内出血として、硬膜下出血やクモ膜下出血を挙げているが、前記の甲九におけると同様に、鉗子分娩と吸引分娩とを区別した記述であるのか不明であるうえ、他方では、クモ膜下出血については原発性のものは少なく、硬膜下出血や脳室内出血に伴う二次性のものが多いとの意見がある、とも記述しており、硬膜下出血の例として、テント裂傷や後骨離開に起因する後頭蓋下の出血、大脳鎌の裂傷による大脳縦裂内の出血、架橋静脈の破綻による頭頂・側頭部硬膜下の出血を挙げているのみで、クモ膜下出血の例は挙げておらず、本件に当てはまる記述とは見られない。

このほか、胎児仮死という適応のある場合、吸引分娩とクリステレル圧出法との間に、クモ膜下出血など頭蓋内出血の発生頻度に差がない、とする調査結果もある(乙一二)。

(二) クモ膜下出血は、右にも触れたとおり、自然分娩でも帝王切開でも見られるところである(乙一一の1、2)。証人山田至康(本件転院後の六甲アイランド病院担当医師)も、新生児の頭蓋内出血の原因として、低酸素によって血管が障害される胎児仮死、外傷、感染、新生児の脳血管の異常を挙げたものの、原告太郎の原因については、カップが大泉門にかかったことを承知しつつ、右のうちのどれにあたるか断定できない、としている。

(三) これらの医学文献や調査結果、あるいはクモ膜下出血の原因の多様性からすると、吸引分娩自体がクモ膜下出血の原因となることは考えにくく、少なくとも、カップの一部が大泉門にかかったとはいえ、装着部分の皮下出血のほかは、頭部に格別の異常所見がなかった本件において、吸引分娩がクモ膜下出血の原因となったと認めることはできず、その原因は不明というほかない。

5  クモ膜下出血と、本件障害との因果関係について

(一) なお、本件の審理経過に鑑み、原告太郎に生じたクモ膜下出血と本件障害との因果関係について付言する。

右一1で認定した事実と、証拠(甲五、七、一〇、乙三、一五、一六、証人山田至康、原告春子本人及び被告代表者山崎高明)並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 原告春子は、初産で、かつ肥満気味であった(平成六年六月一〇日時点で身長が一六〇センチメートル、体重が77.5キログラムであった。)ので、産道が狭く、しかも回旋異常で分娩がやや遷延したので胎児(原告太郎)は本件分娩の際、頭部を相当圧迫された。

(2) 成熟児におけるクモ膜下出血の予後は統計上一般的に良いものといわれているのに対し、胎児仮死が併発しているときは予後が悪いといわれている。

(3) 原告太郎は、アプガースコアが一分後九点、五分後一〇点と良く、新生児仮死はみられなかったものの、本件分娩直前には遅発一過性徐脈が頻回に出現し、臍帯巻絡や回旋異常がみられ、本件分娩直後背部を摩擦された際に背部の表皮の一部が剥離するなど胎児期における胎児仮死又は低酸素状態あるいは胎児循環障害にあったことをうかがわせる所見がみられた。

(4) 原告太郎のクモ膜下出血の程度は、比較的軽度の部類に入っており、脳浮腫も軽減し、六甲アイランド病院は一時期原告太郎の予後を楽観したこともあったが、脳障害は不可逆的なものにまで進行した。

(5) 一般に新生児脳障害の原因は、児の先天的素因あるいは分娩以前の在胎中の脳の潜在的障害、分娩時の低酸素状態又はその競合といわれている。

(6) 安原昭博医師の意見書(乙一五)によると、同医師は原告太郎の本件障害(脳障害)の原因を次のように説明している。

原告太郎の本件障害が頭蓋内出血(クモ膜下出血)によってだけ生じた可能性は極めて低く、非現実的である。原告太郎には本件分娩時に胎児仮死がみられるが、クモ膜下出血と胎児仮死が併発したときは予後が悪くなる可能性があるところ、本件では、胎児仮死が予後に悪影響を与え、原告太郎の本件障害(脳障害)の原因となった可能性がある。

(7) 六甲アイランド病院の山田至康医師は、その証言において、原告太郎のクモ膜下出血は比較的軽度の部類であり、初期症状と本件障害に至ったこととの間にはギャップがあり、なぜ原告太郎のクモ膜下出血が予後不良となったのかは分からないが、やはり、本件障害の原因は、クモ膜下出血がメインであろうと考えると述べている。

(二) 以上の事実を総合勘案すると、原告太郎の本件障害の原因は、クモ膜下出血である可能性も否定できないものの、主たる原因は胎児仮死である可能性が大きく、その他、胎生期にさかのぼる、確定できない原因が寄与している可能性もあるといえる。

6  まとめ

以上のとおり、クモ膜下出血と本件障害との間の因果関係は、これを否定し去ることはできないが、本件では、吸引分娩の選択には適応があり、その実施上の手技にも過失は認めがたい。のみならず、吸引分娩を実施したこととクモ膜下出血との間にも因果関係が認めがたい。

そうであれば、被告には債務不履行責任及び不法行為責任はないものというべきである。

三  結論

以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとする。

(裁判長裁判官・下司正明、裁判官・片岡勝行、裁判官・柵木澄子)

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